徳川昭武と慶喜

徳川昭武は第15代将軍徳川慶喜の異母弟として水戸藩主だった人物です。慶喜から寵愛を受け明治以降も交流が深かったようです。

明治時代の徳川家

徳川昭武と慶喜

江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜は明治になってからも公爵として豊かな人生を送りました。戸定邸の主である昭武は、慶喜の異母弟にして水戸藩11代藩主だった人物です。昭武については次のような逸話があります。

1867年、将軍である兄の名代としてパリの万国博覧会に参加することになりました。この時昭武は弱冠13歳、日本が国として初参加となる万博へ、10万点を超える出品物とともにフランスへ渡り、ナポレオン3世に謁見しました。昭武の持参した出品物はヨーロッパで高い評価を受け、後に本格的となる日本趣味(ジャポニズム)の流れへ大きく貢献することに。また欧州各国の首脳とも会談し、日本の国際デビューの先駆けとなった人物でもあります。

慶喜は昭武を寵愛し、周囲には昭武を自分の後継者に、と伝えていたようです。そのために欧米の進んだシステムを学ばせようと、フランスへ留学もさせていました。もし江戸幕府が続いていたのなら彼が16代将軍になっていたかもしれません。

昭武は明治16年には甥に家督を譲り、松戸の戸定邸に移住し隠居生活を送ります。昭武は、自転車や狩猟、写真などの趣味を持っていました。そして静岡に住んでいた慶喜がよく戸定邸の昭武を訪れ、一緒に写真や狩猟を楽しんでいたと言います。


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